先月下旬にニュースで「14日にワシントン・プレイスでクリスマス・オープンハウスがある」と言っていました。
予約はネットでできると。
12月1日に予約開始だったので、早速予約しました。
見学料は無料ですが$5前後の寄付を。。。と書いてありました。
17時開始で15分頃に行きました。
いつも外から見るだけで中に入るのは初めて。
どんな様子なのか楽しみです。
ワシントン・プレイスは1846年に貿易商だったジョン・ドミニスにより建てられました。
その息子ジョン・オーウェン・ドミニスが1862年に結婚したのがリリウオカラニ。
リリウオカラニは1891年1月カラカウア王が死去し国王を即位しました。
同じ年の8月に夫のドミニスが死去、2年後のハワイ革命で退位し、1895年に武力蜂起した王権派の人命と引き換えに廃位に同意しイオラニ宮殿に幽閉されました。
1896年に幽閉を解かれたリリウオカラニ女王は1917年に亡くなるまでこの家で過ごしました。
1922年~2002年の間はハワイ州の知事公邸として使われていました。
建物の入口で寄付をしたら記念のオーナメントをいただきました。
まだ人も少なくて恐る恐る中に入ってみました。
入ってすぐ左手にある部屋。
右手の部屋にはピアノがあり、王族の象徴カヒリがある部屋がありました。
ここでdocent(訓練を受けて専門知識を持ったボランティア)の方に声を掛けられました。
そして「あら?日本の方?」と。
そのdocentの方も日本の方で「まだ人がいないから。。。」と日本語でたくさん説明していただきました。
このピアノは女王愛用のコア・ウッドのピアノだそうです。
そして横にある椅子はリリウオカラニ女王が座っていらした椅子だそうです。
椅子に掛かるレイは今も絶えることなく捧げられているそうです。
建物の真ん中に青い部屋がありました。
1975年に昭和天皇と皇后さまがハワイを訪問された際、このお部屋を使われたそうです。
当時の州知事は日系人及びアジア系として初めてアメリカの州知事になったジョージ・アリヨシ氏でした。
昭和天皇の細やかなお心遣いを感じられるエピソードを教えて頂きました。
他にも「まだ人がいないから」と奥にある女王の寝室やダイニング・ルームなども見せていただき、いろんなお話をしてくださいました。
途中で思い出したのですがこのdocentの方、エマ王妃の夏の宮殿でもご案内いただいた方でした。
そのことを伝えると「あら~♫」と。なんか嬉しかったです。
だんだん見学の人が増えてきましたが日本人は私1人。
docentの方も「なかなか日本の人は来ないから嬉しいわ」と。
そして「もう少し人が集まったら2階へ行くツアーがあるから少し待ってて」とも。
増築されてできたというテラスで少し待つことにしました。
ここにある椅子は座っても良いそうです。
大きなピアノとクリスマス・ツリーもありました。
ガラス張りのテラスはとっても明るいです。
ワシントン・プレイスは今は知事公邸としては使われておらず、知事が行う記者会見やイベントに使われるそうです。
知事が見る景色はこんな感じなんですね。
屋根の向こうに広がる芝生の左奥に現在知事公邸として使われている建物がありました。
人が集まって来て2階に上がるツアーが始まりました。
テラスの端に靴を脱いで裸足で上がりました。
かつて知事公邸として使われていた時は1階は迎賓館的な利用で、2階は知事と家族の空間だったそうです。
大きな部屋が2つと小さな部屋が1つがありました。
大きな部屋の1つにはリリウオカラニ女王自筆の手紙やかつてのワシントン・プレイス写真や周辺の写真がありました。
もう1つの部屋にはこの場所を使った知事たちの写真が飾れていました。
もちろん大きなツリーもありました。
小さな部屋にはジョン・オーウェン・ドミニスのコレクションが並べられていました。
1階に戻りdocentの方にお礼を言って帰ろうと思いました。
すると「18:30からテラスで合唱があるから聞いて行けば」と。
聞いて行きたいとは思いましたが、外はだんだん暗くなってきました。
まだ18:30とはいえココはダウンタウン。
パーキングまで徒歩5分ですが途中に屋外生活者のテントが何個かありました。
1人だとやはり怖いので残念ですが帰ることにしました。
暗くなって庭のイルミネーションも点灯しました。
いつも門が締まっていてひっそりしている印象のワシントン・プレイス。
女王の厳しく辛い経験から「悲しみが詰まった家」という人もいます。
でも今日は多くの人が訪れて暖かい明りが灯っていました。
お子様はいなかったけど子供が大好きだったという女王、ポケットは子供たちにあげる飴玉でいつもパンパンだったそうです。
今日の女王のポケットはたくさんの人に飴玉をあげてペチャンコになってしまったかもしれません。
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